江戸時代の監督機能 大目付

日本独自の監査役とは、なぜそのような制度が定着しているのだろうか。

江戸時代の職制を「徳川幕府の実力と統治の仕組み 新人物往来社」「大江戸役人役職読本 新人物往来社」により紐解くと、日本では昔から執行役から独立して監察する存在として大目付・目付制度が存在していたことが分かる。

江戸時代は将軍を頂点として政務を総理する老中と、江戸城中の事務を担当する若年寄が支配していた。
老中の下には大目付が大名を監視する監察官として置かれた。
寛永9年(1632年)に新陰流の柳生宗矩ら4名が任命されたのが最初と言われる。
大名並みの待遇を受け、江戸城中では芙蓉の間詰め。定員は4~5名だが、幕末には10人前後に増員されている。

一方、若年寄の下には目付けが配置され、旗本や御家人など幕府諸役人の不正や非礼を弾劾した。
配下の御家人から選任された徒目付(かちめつけ)や小人目付(各50人)を指揮して、隠密、探索、調査を行い、老中や若年寄に上申した。
老中と言えども間違ったことがあったなら、将軍に直接言上できる権限もあったという。
そのため目付の選任は他の役職と違って、10人の目付に欠員が生じると残りの目付が投票で、俊秀の旗本の中から候補者を選び、老中の承認を経て将軍が任命するという、監察官としての独立性を保つための方式が取られていたと言う。
なお、大目付の役高は3千石と大きく、堀利堅の屋敷は7800坪もあったという。
幕府だけでなく多くの藩においても大目付・目付といった観察制度が採用されていた。

日本では古来より素晴らしい制度によりガバナンスが機能していたと見てよいのではないでしょうか。

プロフィール

新米監査役

Author:新米監査役
常勤監査役を7年間勤めさせて頂きましたが、平成28年6月の株主総会で退任しました。
監査役として悩み検討したことを「監査役の覚悟」を7人の共著で出版させて頂き、感謝しております。
なお、現在は某社の非常勤社外取締役と某校の非常勤監事を務めており、経営のあり方について考える立場にある事、「監査役の覚悟」で「新米監査役のつぶやき」管理人と自己紹介している事から、このブログを継続させて頂きます。
ブレーキはより速く走るためにある、とシュンペーターが言ったように、企業の永続的発展のために、監査・監督について、今後も考えていきたいと思います。
ご指導の程どうぞよろしくお願いします。

FC2カウンター
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール

新米監査役

Author:新米監査役
常勤監査役を7年間勤めさせて頂きましたが、平成28年6月の株主総会で退任しました。
監査役として悩み検討したことを「監査役の覚悟」を7人の共著で出版させて頂き、感謝しております。
なお、現在は某社の非常勤社外取締役と某校の非常勤監事を務めており、経営のあり方について考える立場にある事、「監査役の覚悟」で「新米監査役のつぶやき」管理人と自己紹介している事から、このブログを継続させて頂きます。
ブレーキはより速く走るためにある、とシュンペーターが言ったように、企業の永続的発展のために、監査・監督について、今後も考えていきたいと思います。
ご指導の程どうぞよろしくお願いします。

月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード